八ッ場の縄文時代
八ッ場ダムで沈んでしまう吾妻渓谷で発掘された遺跡資料が、渋川市にあるので行こうと、誘われて行ってきた。
先ず目に付いたのが、渋川市内を走る高速道路を作るための発掘調査で出た、甲を着た古墳人という展示。榛名山の火砕流で埋もれ、火砕流の流れが作った偶然で燃えず、腐らずに発掘された、甲
を着た古墳人に首飾りの古墳人、そして幼児2人。古墳人の甲は、鹿の骨を繋いだ物。日本の鎧は、その頃からずっと同じスタイルだった!と知った。
それから先へ進んで見ると、目的の八ッ場で発掘されたもろもろ。よく見たら、展示ルート逆回りしてた。
吾妻川沿いの八ッ場地域は、約12000年前からの遺跡が、多数あり、展示はその中でも大きな集落跡5カ所を主にしていた。長野や新潟、東北で多く出土する遺物が八ッ場でも出土。地域交流が行われていたとわかる土器や石器も並びとても興味深い展示でした。
縄文時代から江戸時代中期まで、連続的に残っている遺跡で、規模から言っても、内容からいっても、世界遺産にも匹敵するような遺跡が、間も無くダムの底に沈みます。とても残念な事です。
何時もエコと言えば、エコロジーのはずが、エコノミーとばかり考えている、政治家ばかりと思っていた。今日は、せっかく民主党が辞めると言っていたダムを、再度作る事にした政治家は、本当にエコノミーの事以外頭に思い浮かばないに違いないと、思ってしまった。