上野 デリー

何年前になることやら、大学に通っていた頃「暮しの手帖」に、デリーのカレーと言って、本格的なインドカレーの作り方が載っていた。

そこで、同じ大学に通い、下宿していた友達と、彼女のアパートでそのカレーを作ることにした。3時間も玉ねぎを炒めて作ったカレーは美味しかったけれど、玉ねぎをまた、3時間炒めると思うともう一度作るには、少々ハードルが高かった。暮しの手帖では、そのデリーは、六本木にあると、紹介されていた。

その後、就職先でカレーを食べに行こうと誘われ、歩いて行った先が上野のデリー。ここも本格的なインドカレーね、とお店の案内を見たら六本木のデリーと同じデリー。その後六本木のお店にも行ったが、子育てする頃から疎遠に。しばらく前、六本木ヒルズに行った帰りに見たら六本木のデリーがなくなっていた。何年も経つし無くなったのだと思い、そのことも忘れていた。

久しぶりに用事で御徒町へ出かけた。用事を済ませ時間を見るとそろそろお昼。一緒に出かけた連れ合いが、デリーに行ってみようと言う。それじゃと、春日通りをぶらぶら歩いて行くととあるお店の前に人だかり。なに並んでるの?と見たら、何と上野のデリー。看板には、上野デリー、と、銀座デリーとある。そう言えば、六本木のデリーが無くなってたと思い出した。移ったのか、と勝手に納得して順番待ち。中に入って、お店のパンフレット見たら上野デリーが六十年続く本店。そして銀座と東京ミッドタウンに支店のレストランとのこと。

懐かしいカシミールカレーをいただき、満足してかえってきたのでした。

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ブログもiPadから書けるのだけど、それでもなかなか手が出ない。

撮してそのままになってた花をいくつか。

まずはニリンソウ。うちの庭で咲く春の花としては早い方。

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同じ頃咲き始めるボケ。今年は花付きがよい。
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そしてジンチョウゲ。小さな株を植えたのだけどあっという間に大きくなった!少し切り詰めようかな。
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原種に近いと、書いてあったので買ったチューリップ。ほったらかしで毎年咲いてくれる。
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ムラサキケマン。いつのまにか増えてる。
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こちらは久しぶりに参加した、斜面輪の手入れの最中に見つけたスプリングエフェメラル、ホウチャクソウ
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ヤマブキソウ。うちの庭のヤマブキソウは、消えてしまったので、見るのは久しぶり。
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もう初夏と言ってもいい時期になって来ている。

残念ながら気軽にお出かけとは行かないけれど、おかげで庭の手入れが少し進んでるかな。

 

石坂産業(https://ishizaka-group.co.jp)ー三富(さんとめ)今昔村 ①

ダイオキシンが騒がれたころ、江戸時代に開発された三富新田のなかに、産廃銀座と言われていた廃棄物処理施設が集まっていた地域があった。その産廃業者のほとんどが他に移ったり廃業したりした中で、生き残っている、産業廃棄物処理場があるので見に行こうと誘われた。暫くして、その会社の社長がNHKの番組「逆転人生」に出ると言うのでビデオに撮って見た。

そして先日、東武東上線ふじみ野駅で集合、バスのお迎えで見学開始。案内の女性が、訥々と見学の予定をざっと話したりしながら、なんとなくみんなの気分を和ませてくれた。バスの外を見ていたら見覚えのあるお寺。ここの森を保全しているボランティアの作業を見学に来た事があるけど、まだ続いているのかなと思い出す。次に樹木葬と大きく看板が出ている霊園を過ぎたら、目的地周辺。道の左にトラックの駐車場、右に本社、その先にくぬぎの森交流プラザ(https://santome-community.com/map/)と言う、工場を取り巻く森へ来る人たちや私たち見学者の受付も兼ねた、大きな集会所があり、その前の駐車場で下車。

本社ビルの5階の眺めのいい会場で、先ずは石坂産業の業態の説明?講義?を聞く。廃棄物を取り扱う産業が、サービス業に分類されると、先ず聞いてビックリ。考えてみれば、元々は、ゴミを処理して捨てる、と言う仕事で、物は作ってなかったから、そうなるかと納得。更に日本の法律では、家庭から出るゴミは、一般廃棄物で、残りは産業廃棄物と、分けられる。そして産業廃棄物は、更に20種類に分けられていて、それぞれの処分について許可が必要なのだとか。石坂産業では、建て替えなどで壊した建物、建設廃棄物を、主に処理、98%が再生され再利用されていると言うことだった。残りの2%についてもリサイクルできないかと研究中とか。

さて、実際の作業見学。本社ビルをでると大きな石が使われたしゃれた築山。聞いてみると、石は持ち込まれた廃棄物。ここから再利用されていた!日本の庭を構成する庭石は、どこかで使われてた石は使わない、だからお金を払って引き取ってもらわないとダメと知ってはいたけれど、石坂産業の敷地内で見た庭石!再利用されてるのだけど、なんの問題も無く、良い庭の景色をつくってる。やっぱり日本のシステムおかしいな、山や川や海など、もう石を採ってはいけないと禁止されている所が沢山あるのに、再利用されず、いちどつかわれたからって、廃棄物になって、ほとんど砕かれてしまうって!。更にビックリだったのが、リサイクルしてできた製品、ここでは足の下に敷いてあったブロック。法律では、この廃棄物処理場に存在している間は、製品では無くゴミ。従って、保管に制限があり、普通の製造業のように製品を保管して売ることができない。売買契約を結んで、取引しても製品を相手に届けるまで、製品では無く、廃棄物!って、リサイクルを叫ぶ国にしては、法律、変。

工場の方へ進むと、先ずあったのが工具置き場と作業場。この処理場で使う様々な機械は、取り付けから、現場に必要な改良、変更は、全てここで働く人たちが行い、その為、メーカーの保証が無くなるので、保守管理全てする為の工具であり作業場という説明。頭だけで世の中動くように思っている人たちの多い中、凄い人だの集まりなのね!

さて、作業場。先ずはトラックで運び込まれてくる廃棄物を仕分けして、ベルトコンベアーに乗せるところから。石(鉄筋コンクリートは、できるだけコンクリートを砕いて金属を取り除いていた),木材、プラスチック類、と大きく分けていたが、もともと色々な、材料があちこちに使われているのが、一般家屋。ベルトコンベアーでどんどん運ばれながら、使えるところは出来るだけ機械を使っているけれど、でも、最後は人手が頼りとの説明。見学通路から見えるベルトコンベアーの上の廃棄物を見るとその言葉に納得。大変な仕事だなぁと、見るだけで、実感。

最後に工場全体に配置されている排気施設を見ながら、構内の空気清浄のシステムを説明してもらって、石坂産業が管理している森林に移動。

工場の外は基本的には、三富の里山を復活させている林。その名は、三富今昔村。太陽光発電で走るSLや、落ち葉の堆肥を使った畑や、鶏小屋など、また、そこで収穫された野菜を使ったお食事が出来る集会所などがその森の中に点在している。SLと聞いて楽しみにしていたのだが、あいにく雨模様となり、ほとんど歩けずに移動。三富新田の元々の持ち主が昭和30年代に建てたと言う立派な農家を資料館として保存していて、中を見学。繭から糸をとっていた道具や、乾いた藍の葉が盆笊いっぱい。手動の製麺機や餅つき機。また、あのあたりに住んでいたらしい動物の剥製。そして、私たちも使っていたようなラジオや火鉢。昭和も、歴史の一部に成っちゃったのね〜と、ため息。

乾燥した山積みの藍の葉の説明に「この藍を使って、糸を染めたらしいのですが、煮詰めて染めると臭いという話しですよ。」と言われてビックリ!そんなバカな!まず、この葉は、スクモに発酵させて、更に染め液を作って、染めるのよ!思わず叫んでしまいした。でも、乾燥させてあるだけで置いてあるのは、何故なのか?葉をどこかまとめて発酵を任せる作業所のような所があったのか、それまでは自家製のスクモで染めていたのが、新しい家も作り、高度成長期に入って衣類を作るのをやめたので、そのまま放置されたのか。ちょっと、勝手な想像。それはともかく、いい加減な説明なら、説明無しにして欲しい!のでした。

最後にくぬぎの木環境塾という建物の中で、見て回っての感想や意見など、アンケート調査。そして質疑応答の時間を過ごし、再びバスで駅まで送っていただき、解散。

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林を見て歩いたり、村内のミニレールを走るSLに乗れなかったのが、とても残念。絶対もう一度行こうときめたのでした。

八ッ場の縄文時代

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八ッ場ダムで沈んでしまう吾妻渓谷で発掘された遺跡資料が、渋川市にあるので行こうと、誘われて行ってきた。

先ず目に付いたのが、渋川市内を走る高速道路を作るための発掘調査で出た、甲を着た古墳人という展示。榛名山火砕流で埋もれ、火砕流の流れが作った偶然で燃えず、腐らずに発掘された、甲

を着た古墳人に首飾りの古墳人、そして幼児2人。古墳人の甲は、鹿の骨を繋いだ物。日本の鎧は、その頃からずっと同じスタイルだった!と知った。

それから先へ進んで見ると、目的の八ッ場で発掘されたもろもろ。よく見たら、展示ルート逆回りしてた。

吾妻川沿いの八ッ場地域は、約12000年前からの遺跡が、多数あり、展示はその中でも大きな集落跡5カ所を主にしていた。長野や新潟、東北で多く出土する遺物が八ッ場でも出土。地域交流が行われていたとわかる土器や石器も並びとても興味深い展示でした。

縄文時代から江戸時代中期まで、連続的に残っている遺跡で、規模から言っても、内容からいっても、世界遺産にも匹敵するような遺跡が、間も無くダムの底に沈みます。とても残念な事です。

 

何時もエコと言えば、エコロジーのはずが、エコノミーとばかり考えている、政治家ばかりと思っていた。今日は、せっかく民主党が辞めると言っていたダムを、再度作る事にした政治家は、本当にエコノミーの事以外頭に思い浮かばないに違いないと、思ってしまった。

縦糸の用意

去年藍で染めた糸で織りたいとずっと考えていたが、先ずは、絹糸を使う事にした。できれば手持ちの糸でと、考えて始めたのだけど結局足りないと分かったので、経糸用の糸を買い足して、大管巻き。そして昨日からセクショナルビームに経糸巻き。

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やっと半分巻き取った。

そして、また、taanikoに挑戦。バッグを作ろうとこちらも経糸をなんとか用意。

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今度は、紺をベースに模様を描こうと始めたけれど、暗い色は、目には少々厳しい色でした。作業は昼間する方が、間違いを少なくできるかも。

ターニコ織(taaniko)2

ネットでターニコ織を教えると言うお誘いを、前に、このブログに書いた。何処ででもできると言う謳い文句。確かに、糸の準備をして、織り方がわかれば、出来るはずだけど、そこまで到達するには、それなりの知識と、訓練がいるよね〜と思いつつ、魅力に勝てず、申し込んだ。まずはお試し、指導通りに織った。

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赤い糸を使ったものが、ネットと同じもの。同じテンションで織るようにと、コメントがあったけれど、最初から、そう簡単にはいきません。で、歪んだ!織るためのざいりょうのお勧めは、マクラメ糸と、5番の刺繍糸のようだったけど、手持ちで済ませたいと、在庫をいろいろかき回したものの、ぴったりのものが見つからず、他の用事で行った百円ショップの荷造り用麻糸で、作った。

次に使う場所を考えて、大きさを決めて織ったのが、ピンクの方。もう少し肌あたりの優しい糸がいいなと、こちらは、手芸店の店先で見つけた綿麻混紡の糸と、手持ちのタペストリー糸。タペストリー糸は失敗。甘縒りで段々に解けて5本の糸になってしまった。織り機に張ってあれば、良いのだが、手で、言って見れば織ることが、振り回すことになる。

案内には、バッグを作るプログラムもあったけれど、申し込まなかったのだが、こんな感じで織れるなら使い勝手を考え、模様も自分好みに考えると、良いものが出来そうな気がする。どう言う手順がいいか考えてみようと思い始めた。

それはともかく、綺麗にしっかり織れるようしばらく、さらなる訓練が必要なことは間違いない。

芹沢圭介美術工芸館

東北福祉大学が、構内に併設していた芹沢圭介美術工芸館が、いつのまにか、移転。仙台駅近くにあると分かり行ってみる事にした。駅の東口を出て見回すと、東北福祉大学と表示されたビルが見えた。

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行ってみると、こんな入り口。作品を展示するスペースは、あまり変わってないようにみえたが、芹沢圭介の居間の展示がなくなっていた。壁の説明書きを読んでいて、圭介の圭は、本当は金偏が付いていると、気がついた。今まで何度か見にきているのに、全く気づかなかった。

今日の展示は、夏を彩る藍色のれんがテーマ。展示は、のれんとその図案、図案を彫った型紙など。作業工程が分かるような、順に並んでいるものがあった。また、古い昔の16ミリフィルムを再生したものが放映されていて、型染めの一連の作業を映していた。型紙は、目の荒いガーゼのような布(なんて言うのだったかな)の布目が歪んだり、波うったり、何回使われたんだろう⁉︎人気だったのが分かる。

チラシに「藍染は、染めを重ねるごとに色が濃くなる特質を持っています。」とあったのだが、放映されたもので見ると、紅型のように顔料で色さししているようだし、藍甕がある様子もないし、地染めも化学染料じゃないのかなぁ⁉︎それなら、この説明は当てはまらないな、と思う。へんに天然にこだわるより、気取らない優れたデザイン性に重きを置いた解説の方がよいように思う。

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この解説のバックに使われている鯉の柄の暖簾は、昔、池袋の東武美術館(とっくに無くなった)に来てドイツの美術館所蔵の鯉の掛け軸を思い出させてくれた。その絵は、一匹の鯉が画面からはみ出しそうな勢いで描かれていた。美術館の名前を覚えていないので、もう一度見たいと言うのは無理なのだけど、その掛け軸を思い出させる一枚に出会えたので、今日は、来てよかった‼︎